知ってる?勉強は嫌ならやめていいんだよ。

こんにちは、森部高史(べぇさん)です。

驚いています。すごく驚いています。

勉強が好きではない、という人がこんなにも多い世の中に。

 

「そんなことはないよ!私の周りは勉強大好きな人たちばかりだよ!」

そういう方はとてもよいグループに属しています。だからその輪の中にいられることをとても大切にしてください

類は友を呼ぶ、ですから

類は友を呼ぶ、にこだわる

勉強嫌いはどこからはじまるのか

僕は勉強を一度も嫌いと思ったことはありません。ただの一度もです。

大変だな、しんどいな、難しいな、と思ったことはあります。
何度やってもわからないな、と思ったこともあります。

それでも「学ぶ」ということから距離をおいたことは、ただの一度もありません。

教員をしていた過去からおもうこと

とはいえ、勉強が好きではない、という人の気持ちがわからないわけではありません。

英語科教師として、中高一貫校で教鞭をとっていた時に、勉強と向き合えないという生徒は少なくありませんでした。

学生が勉強が好きになれない理由はパッと思いつくだけでも3つあります。

理由その1:試験がある。

学力を計るために学校で用いられるもの、それは試験です。

これはある程度、現在の日本の多くの学校における仕組み上、仕方がないのかもしれません。

しかしながら、世界には試験が存在しない学校というものがあり、日本のようにお行儀よく机に向かっていなければならない、という教育を行なっているところばかりではありません。

(最近はそういったクラス運営を行うのが難しい、という所も少なくないようですがそれはまた別の話なのでここでは割愛します。)

 

試験があること自体は、良い点もありますし悪い点もあります。

ただ、確実に特に幼少期から思春期における学力試験の弊害というのは、試験の成績次第で、その子供の人格すらも否定されてしまう、もしくは子供自身が否定されていると感じてしまうことです。

 

点数が取れないことは恥ずかしいことだ、と感じた経験をお持ちの方も少なくないでしょう。

そしてその経験は多かれ少なかれ、大人になってからも尾を引いています。

いわゆる学力コンプレックス、というものも一つです。

学歴コンプレックス

以前、個人事業主としてトレーニングを教えていらっしゃる方の相談にのったことがあります。

「自分はこういうことをしたい」ということが明確ではあったのですが、それをどのように形にしたらいいのかわからない、ということだったので

「それではこうしたら良いのではないですか?」

すると

「いや、それは出来ないです」

 

「そうですか、それはなぜですか?どうしても無理ならこういうことはどうでしょう?」

「いや、それも無理です」

 

「なるほど、一度確認させてください。こういうことをされたいんですよね?それで私に相談にきた。それで私が出したアイデアに対しては、無理の一点張り。もう一度お伺いしますが、どうなさりたいのですか?」

するとその方は、こうお答えになりました。

 

「僕はね、森部さんみたいに学歴がないんですよ!僕だって日本の大学をでて、アメリカの大学院を出ていたらって思いますよ!でも僕にはその学歴がないんです!」

ちょっとね、意味がわかりませんでした。

 

常々言っていますが、資格なんてただの紙切れです。そして学歴なんてなんの役にも立ちません。

 

もちろん、そうやって言えるのは、自分はある程度の資格を保持し、いわゆる学歴というものもあるから言えるということもわかっています。

でもそれと、僕が相談を受けて、それの実現のために提案していることができないということは全くの別物です。

そしてそれを理解するのに学歴は必要ありません。そんなことを教えてくれる科目はどこにもないのですから。

 

だから、僕が最後にその方にお伝えしたことはこうです。

「学歴で引け目を感じられて、それで自分の行動が制限されているのでしたら、学歴を取りに行ったらいいではないですか。時間とお金さえかければ学位は誰にだってとれますから。その道のりも学びはたくさんありますよ。ご自身で言い訳をすることを許すのをやめない限りやりたいことは出来ないですよ」

 

その後、二度とその方とお会いすることはありません。私の時間は、もっと有意義に必要としてくれる人のために使いたいですから。

いわゆる優等生も大変だ

身体と心のバランスをとるボディーワークを行なっている者として、常日頃オフィスに来ていただいている方をみていると、苦しんでいる人は学生時代にいわゆる優等生タイプだった方が多いです。

  • 周りの期待に応える
  • 周りの空気を読む
  • その役割を満たすために「良い子」でいる
  • 「良い子」は勉強もできないといけない

そんな方々が社会に出て、同じように自分に負荷をかけてパンクしてしまう、という感じです。

 

テストの点数を気にして思春期を過ごすということは、周りの目を気にしながら生きていくことを刷り込んでいくことになります。

これを大人になってから、解きほどいていくのはある程度の時間がかかります。自分の軸で考える習慣を持っていないからです。

 

その絡まった糸を解いていくお手伝いをさせてもらっていますが、その糸が解けたときはなぜそんなにも気にしていたのか、わからなかったりするものなんですよね。

覚えておいてほしいこと

日本の学校教育というのは、この日本という国で平均点の子を作り出すものです。

それが必要だった時代というのも確かにあります。それがあるから、今の日本の礎が築き上げられたということは疑う余地がありません。

 

海で囲まれ孤立し、国の土地のほとんどは山で、資源も限られているにもかかわらず、世界でもトップクラスの経済大国となった時代があったのは、そういった皆が同じ方向を見ている時代があったからでしょう。

しかしながら、時代は変わりました。

 

インターネットをはじめとする科学の進歩により、遠くのことも瞬時にわかるようになりました。

世界の名だたる大学の授業が、家のリビングで受けることができるようになりました。しかも無料で。何歳からでも。

ちょっと前まで当たり前だったことが、当たり前ではないのです。

 

今の子達にとっては、パソコンで文書作成、動画や音楽を組み込み、それをクラウドで共有し、オンラインでビデオ通話ミーティングをすることや、ウェビナーを行うことは当たり前です。

でもそれを学校の先生であたり前に作業出来る人はどれくらいいるでしょうか。出来ない人もたくさんいるはずです。

 

この状況では、もはや学校の当たり前、先生の当たり前で学生を縛っておくことは限りなく難しいのです。

とはいえ、社会のルールとして学力がひとつの基準として存在するのであれば、その点はさっさとクリアしておく必要もあります。その方向に自分のやりたいことがあるのなら、という条件付きですが。それについては後述します。

その2:何の為にそれを勉強しているのかがわからない

カラテキッドという映画をみたことがありますか?

オリジナルでは、ミスター宮城は延々とワックス掛けを。ジャッキーチェンが出演していたリメイクではひたすらジャケットを地面に落とし拾い、掛けるという行為を繰り返します。

そして、この師匠たちはその理由を教えません。

 

最初はやる気のあった弟子も、途中で投げ出します。

「こんなことをやって何になるんだ!」

 

それでも師匠は動じません。

「続けなさい」

「嫌だ!」

「続けなさい」

「もうやっていられるか!!!」

 

弟子がそう言うやいなや、師匠が弟子に攻撃を仕掛けます。

するとなんということでしょう!!!

嫌々、延々と繰り返させられたいた動きが自然と出て、師匠の攻撃をかわせるではありませんか!!!(ジャジャーーーン!!!

 

そして、師匠は言います。

「続けなさい」

 

これって、教える立場にたつひとなら、一度は理想的!と思ったことがあるのではないでしょうか。

文句を言わず、ついてくる。そして反感することはあってもその意図を身体に刻み込むことで、その後は全てをかけてついてくる。

これはこれで良いと思います。

 

ただし、これには問題点があるのです。

それは、常につきっきりで、本気で見続けていなければならない、ということ。

つまり1対1だから可能になるのです。つまり、学校という環境でこういうことを望んでもそれは不可能だということです。

 

また、1対1だと逃げ場がないので、関係性の維持が難しくなることもあるので、この方式をとるほうも相当の覚悟が必要になります。

人のやる気が生まれる時

このお弟子さんも最初は「強くなりたい」という自分の中から出る内発的欲求がありました。助けてくれた師匠の圧倒的強さに憧れて、「この人についていけば強くなれる!」と希望を抱いて最初はやる気をだします。

しかし、ゴールのないマラソンほどきついものはありません。

 

自分が限界やゴールだと思っているところは、師匠からみたらまだスタートラインにすら立っていないということが往々にしてあります。

でも弟子にはそれがわからないから、反抗する。

そして、言葉ではなく身体で自分の進歩をしるきっかけを与えることで、自分の時間は無駄ではなかったことに気づき次の一歩を踏み出していく。

学校の教育だと、この「わからせる」行為が試験になり、良い点数を取れる子にはその時はプラスに働くのですが、そうでない子への救いがないのです。

 

それでは何のために勉強をしているのか、わからなくて嫌になるのも仕方がありません。

しかも、何かひとつの教科が良くてもほかの教科で赤点をとっていたら、それはマイナスにしか取られないのですから。

でも、社会で活躍している人をみてみると、とってもアンバランスです。

例えばさかなクン。

お魚に関しては抜群の知識と愛情を持っています。学生時代はずっとお魚の絵を描いていて、それ以外のことには興味がなくて問題視されていた、と言われています。

それに対して、お母さんも大いなる理解を示し「この子が好きでやっていることをやらせてあげてください」と、毎日お魚屋さんに連れて行って、好きな魚を買っていたなんて話もあります。

 

そういった周りの理解もあって、魚に関する様々な発見をしたり、現在は大学で教鞭もとられたり、テレビで活躍されたりしています。

吹奏楽部を水槽学部と勘違いして、入部したなんていう話もありましたね。

でもその時に磨いたサックス演奏でCMにまで出演していました。

これが、「魚の絵を描いていることになんて意味がない!国語も英語も数学も歴史も社会も全て満遍なくやりなさい!」と言われていたら、そうはなっていないだろうな、という想像は容易にできると思います。

 

そもそも、大人になって社会に出て、全てを高水準で平均的にこなすように求められるということはあるでしょうか?

もし、そういう職場にいるとしたらかなり危険です。

 

本来、組織というものはチームですから、それぞれ得意なことが違う人たちが集まり、各々の得意なことを活かして最大限の成果を出していく、というものです。

そのなかであなたの得意なことが「全てをソツなくこなす」ということであれば、それは大いなる強みになるでしょう。

 

ただ、例えばサッカーのチームで11人全員が、全てのことを70―80点の平均点でこなせるチームは強いでしょうか。

そうは思いません。

 

社会に出てから必要とされるのは、突出した何か。

だから、いま世の中では「強みを活かす」ということが強調されているのです。

とはいえ、突出した何かといっても日本で一番でなければならない、というわけではありません。

隣の人よりちょっと出来るという程度でいいのです。それを自分がきちんとにんしきして、しっかりと提示していくということが大切です。

強みを活かすことは短所から目を背けることではない

教員をしていたときに、受験勉強が辛いといって相談して来た学生に伝えていたことがあります。

それは、受験勉強が辛いと思うのなら、なぜ自分がその大学に行きたいと思っているのかをもう一度考えて見てごらん。その先に自分のやりたいことがあるのなら、それは辛さにはならないはずだから、と。

 

辛いと感じているときは、自分の目的と現在の立ち位置が不明瞭だからということがほとんどです。自分がやりたいことに迎っているときは、大変と感じることもあるけれど楽しみやワクワク感の方が強いものだから。

その3:頑張って勉強してもなんの役に立つのかわからない

これも、上記と同じように自分の目的がわかっていないことが原因です。

ただ、学校という狭い社会にいたらわからなくても当然で、その外の世界を見せるのが本来は教師の役目のひとつだと思うのですが、現在は先生方も色々と抱えていて、なかなか難しいところがあります。

 

だから学校の先生だけに頼らず、子供達のまわりにいる大人たちがしっかりと、大人になる楽しさを言葉で、背中で語れるかが大切です。今の世の中、学校の先生になんでも頼りすぎですよね。それでは先生方が気の毒です。

「大人になるってそんなに楽しいんだ!」

と子供が思えば、自然と

「どうやったら、そういう大人になれるの?」という質問がでてきます。

 

興味がでてきたことには、人は自ら取り組み始めます。

そして、子供は特にその傾向が強く、そうなった時はこちらの想像をはるかに超える成果を出していきます。

実はこれは子供だけでなく、大人も一緒。遅すぎるということはありません、今が残りの人生で一番若い時なのですから、「遅すぎる」と言い訳する前に始めましょう。

## 勉強をする意味

以前ツイッターでこういった文章が流れて来ました。その通りだと思います。

僕も常々、勉強をする意味は多様性を認められる自分でいるため、と伝えています。

学び続ける理由はただ一つ「多様性を認められる自分でいる」ため。

上にも、あるように「ねばならない思考」はとても危険です。排他的になります。それは、アメリカという土地で人種差別を何度も受けて来た経験から感じることでもありました。

 

きちんとした人であればあるほど、違いというものを尊重したり、興味を持ちます。

もちろん自分の貴重な時間や資源を無駄にするような人とは距離を置いて、関係性を保っても良いと判断した上でのことになりますが、それも多くの知識と経験の上で判別されています。

昔から、君子危うきに近寄らず、と言われるのもそういったこととは無関係ではないでしょう。

何のために勉強するのかって?

それは自分のなりたい自分に近づくためです。昨日よりも、今日。今日よりも明日一歩でもその自分に近づくためです。

では、そのなりたい自分は誰が知っているのか。

 

それは、あなたしかいません。

 

その部分は他の人はアドバイスできることはあるけれど、最終的に決めなければいけないのは、あなたです。

 

それは変わってもいい。色々と経験を積んでいくことで見える景色はかわるものだから。

勉強は贅沢なことだ、ということを知ってほしい

勉強って、やりたくなかったらやらなくていいんです。何も試験の点数や大学に入学するために勉強をするわけではありませんから。

それに勉強って、机の前に座って教科書を読んだり、授業を受けたりするだけが勉強ではありません。むしろ、それしか勉強のやり方を知らないのであれば、そっちのほうが心配です。

 

世の中には学びの題材がたくさんあります。

1冊の本だって、街を行き交う人だって、流行しているものだって、人の話題にのぼることだって、周りの友人、知人の生き方だって、その全てが勉強になります。

そこに自分が「なぜ?」という疑問をもてるのであれば。

  • 「なぜ、この商品はうれるのだろう?」
  • 「なぜ、この商品は30代の男性に売れるのだろう?」
  • 「なぜ、この商品は30代の自営業者に売れるのだろう?」
  • 「なぜ、逆にこの商品は女性には売れないのだろう?」
  • 「なぜ、この商品はこのサイズなのだろう?」
  • 「なぜ、この商品はこの色を使っているのだろう」
  • 「なぜ、この商品を売っている人はあの伝え方をしているのだろう?」
  • 「この商品をよく売れる人と売れない人の差は何なのだろう?」

といったように、ひとつの商品にたいしても、「なぜ?」の切り口をかえればいくらでも質問は出てきます。それの答えを自分なりに探していくこと、それは全て学びであり、勉強です。

だから、まずはとにかく好きなことに熱中してください。

 

教科や試験の点数ではなく、自分の心が動かされるものはなんですか?

音楽が好きなら、そのジャンルの音楽やグループ、演奏家にとても詳しくなってください。

食べ物が好きなら、その食べ物のことを誰よりも好きになってください。

ある国の文化が好きなら、その国のことをとことん好きになってみてください。

好きになったら興味が生まれます。

 

例えば音楽なら

  • なぜ、その音楽は生まれたのか。
  • どの国で生まれたのか。
  • その国の文化背景はどういったものなのか。
  • どれくらいの人口のうち、何割の人が音楽に関わっているのか。
  • 音楽が意味するものは何なのか。
  • その音楽に携わる人たちはどのような人たちなのか。
  • その音楽に使われている楽器はどういったものなのか。
  • どこで作られているのか。
  • 何カ国で受け入れられているのか。
  • それはなぜなのか。
  • この音楽の魅力をもっと多くの人に知ってもらうにはどうしたらよいのだろうか。

そういったことに疑問を持ち、調べ始めていたら、いわゆる学校で習う全ての要素を網羅していきます。

大人になってからの学び

大人になってからの学びは、誰かに与えてもらうことではありません。

自らが疑問を持ち、それに対して考え、調べ、自分なりの答えを導き出していくそのプロセス自体が学びなのです。

 

誰かから答えを聞いてるだけで満足していたり、正解をすでに欲しがっている人は成果を出すことはできません。だって、そんなものはインターネットをひらけばすぐに出ているのだから。

大切なことは「あなたという人間が、何を感じ、考え、それに対してどういった意見を述べ、行動に繋げるのか」ということです。

勉強が贅沢、という意味

なぜ、勉強が贅沢というかというと、上記のようにたくさんのことに疑問を感じて調べていくことには多くの時間がかかります。

多くの時間をかける価値があることです。しかし、その時間は莫大なものになります。

 

自分一人だけで生活をしているのであれば、ある程度の時間の自由はきくでしょうが、仕事をしていたり、家族がいたり、様々な理由で自分が思うように時間が取れないということは現実としてあります。

その中でも自分のために、大切な大切な時間とお金を使って、学びを深め、行動につなげていく人だけが結果を残していくことができます。

 

いま、我が家は妻が闘病中なので色々な時間の制約が生まれています。
もっと時間がほしいと思うことも正直あります。

しかしながら、今の僕の生活は仕事の時間は半分に減らしながらも収入は維持し、家族との時間も増え、さらには勉強の時間も今までよりも増えています。

 

この1ヶ月で、本は50冊ほど読み、セミナーにも2日間参加し、他にもオンラインで学ぶ時間をとりながら、新しい企画も準備しています。アウトプットの量も増えています。

それは、自分のやりたいことが制約がかかることにより、より明確になったから。

 

言い訳はいくらでもつくることができます。でもそれでは何も変わりません。

でも、自分の思うように時間がとれない側面があるからこそ、勉強ができるということは、とても贅沢なことなのだということがより一層深いレベルで体感できています。

 

それだからこその、学びの質と量が増えていると実感しています。

勉強が辛いと思ったら

勉強なんてしたくない、と思ったら勉強なんてしなくていいんだよ、ということを思い出してください。

勉強なんてしたくない、と思いながら勉強なんてしていても何の役にもたちません。

 

それよりも、自分が興味を持っているものは何かを、しっかりと見つめて認識しておくことの方がよっぽど大事です。

やりたくもない勉強をするのであれば、その時間とお金を自分がやりたいことに費やしてください。

 

ただ、それは自分の好き勝手にやって、浪費すれば良いということではありません、

時間とお金は貴重な資源です。

その資源をなりたい自分のために最大限有効活用をしてください。

自分がそれをするつもりがないのであれば、それは他の人に譲ってあげてください。ただ、なんとなくぶら下がっていることには何の意味もありません。

それよりも自分が、自分を好きになれる、そんな道を作っていってください

 

人生は全て自分の責任だから。

学びをそういった形で活用してください。

それではまた

森部高史


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森部高史
自分軸ライフクリエーター。株式会社Pono Life代表取締役。Kukua Body主宰。アメリカ在住時でATCとしてトップレベルアスリートのケアにあたる。数少ないロルフィング®の資格を持ち、クライアントの身体と心のバランスを整え人生に寄り添い、「先生」と呼ばれる治療家やセラピストを指導する立場にもある。その人柄と結果を導くセッションと講座には全国から参加する人が後を絶たない。

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森部高史

自分軸ライフクリエーター。株式会社Pono Life代表取締役。Kukua Body主宰。アメリカ在住時でATCとしてトップレベルアスリートのケアにあたる。数少ないロルフィング®の資格を持ち、クライアントの身体と心のバランスを整え人生に寄り添い、「先生」と呼ばれる治療家やセラピストを指導する立場にもある。その人柄と結果を導くセッションと講座には全国から参加する人が後を絶たない。