頑張っている。
だから結果に繋がる。
誰もがそう信じていたい因果関係。
だけど、そんなことが実世界で起こりうるのでしょうか。
頑張る、という曖昧な基準が評価される風潮
頑張ることが悪いとか無駄というわけではありません。
何かに熱中して進んでいくことができることは素晴らしいことだと思います。
ただ「頑張る」ってなんですか?という話。
部活や会社で、早く来て遅く帰るのが「よし」とされることはありませんでしたか?
早く来て、遅く帰ることが評価基準であるとしたら、それは「頑張ること」が目的化してしまっていること。
何時に来ようが何時に帰ろうが、大切なことは目標としている数値や事柄が達成されるかどうか
ただこれだけです。
早く来て遅く帰ることを目的化して、寝不足で頭も身体も動かない状態でオフィスに来られたとしてもそれは「頑張っている」のではなくて単なる「役立たず」です。
頑張ることを目的化しない
確かにその場に長くいると、作業時間もながくなるので一見、やる気があるように見えることもわかります。
しかし、目的に対して正しい方向に進んでいるかでしか本来、その「頑張り」は測れないはず。
見当違いのことをずっと行っていても意味はありません。
自転車を一生懸命漕いでいても、チェーンが外れていて一向に進まない。
それなのに
「でも自分は一生懸命自転車こいでいるんです!」
と言っても
「何言っているの?」
という話でしかないのです。
自分が行っていることの目的はなにか
努力は常に方向性を確認することが大切。
その方向性が間違えているのに頑張っていても、結果には結びつきません。
努力が実るのは、
方向性 x 量 x 質
その3つが揃ったときです。
見当違いの頑張りをして苦しんでいる人も多い世の中。
一度自分の足を止めて、この方向に進んでいて良いのかな、と考えることが大切。
わからなかったら人に聞くこと。
身体の使い方も一緒
仕事における評価や成果というものは数値化しないとなかなか見えないものなので、実感することが難しいこともあります。
ただこの「間違った努力は毒にもなる」というのは人間の身体に置き換えてみたらわかること。
例えば間違ったフォームで野球のボールを投げ続けていたり、グリップを間違えているのにゴルフのスイング練習を1日に1万回していたり、100メートル走のタイムを縮めたいのに空手の稽古を1日に6時間していて結果に結びつくでしょうか?
そんなことはありませんよね。
身体を壊します。
結果的に時間を無駄にします。
立ち止まる勇気を
がむしゃらに頑張るということは誰にでもできることではありません。
だからこそ、その方向が漠然とでも良いから正しい向きに進んでいるかどうかを確認する勇気を持ちましょう。
動いている時に止まるのはとても勇気がいります。
動いているときはあまり考えなくても進んでいけるのです、それが正しい方向であろうと、そうでない方向であろうと。
自転車を乗っている時に最も負荷がかかるのは、動き出しのときと止まるときです。
止まってー動く
その最も負荷がかかることを行わなければならないので、見ないふりして進んでいくこともできます。
しかし少しのズレは後々大きな裂け目となり、取り返しがつかなくなることもあるのです。
自分の中にある違和感を大切にしてください。
そして、立ち止まり自分の行先を確認。
そこから現在地を確認し、目的地にたどり着くための方法をもう一度洗い出しましょう。
自分で考えてわからないことは信頼している人に聞く。
そして実行する。
その繰り返しです。
せっかく、頑張ることが出来る才能を持っているのですから、それを正しい方向に進むために使ってくださいね。
それではまた
森部高史