こんにちは、森部(@moribeimori)です。
あなたは誰かに対して「あの人はいいなぁ」と思ったことはありますか?
ずるいと思ったことは?
そこまでは思わないけれど、こうだったらいいな、とか
自分だってその立場だったらもっと上手にやれている、、、とか
なんであの人は私よりも実績も技術も知識もないのにちやほやされているなんて納得できない!とか
思ったことはありませんか?
それもすごく正直な自分の気持ちなので、一回抱きしめてあげましょう。
その上で、お伝えしておきたいことは、どのようにしたら幸せを感じられるようになるのか、ということ。
目次
同じ局面においても異なる反応になるのはなぜか
物事で色々な局面に遭遇した時に、仮に同じ事柄に直面していたとしてもその反応の仕方は人によって違いますよね。
ある人は、とても文句を行ったり、落ち込んだりするのに対して、同じ事柄でもそうはならない人がいます。
その違いはなんでしょうか。それは起こった出来事に対する心の処理の仕方に違いがあります。
トップダウン処理とボトムアップ処理
心理学ではトップダウン処理とボトムアップ処理という考え方があります。
ボトムアップ処理というのは、基本的にプラスのこととマイナスのことの総数で幸福か不幸かが決まる考え方。
例えば、嬉しいことがあれば幸せで、事故とか怪我があったら不幸になる、というもの。
つまりは、幸せは「起こる事柄」によって決定するという考え方。
それに対して、トップダウン処理というのは起こる事柄が幸せを決めるのではなく、自分個人の考え方が幸せを決める、というもの。
簡単に言えば、ポジティブ思考な人は何が起きてもポジティブに物事をとらえるので幸せだし、ネガティブ思考の人は何が起きてもネガティブにとらえるので幸せをかんじづらい、というわけです。
どちらでいた方が良いの?
トップダウンとボトムアップ、どちらが幸せをより感じるのかについては長い間議論が続いていますが、トップダウン処理を行う人のほうが幸せだと感じていることが多いという研究結果が多くなっているようです。
ボトムアップの特徴
ボトムアップ処理を行う人の特徴としては、「足りない」に目が行きがちということになります。
なので、基本的な思考としては
・100万貯金が溜まったら幸せ
・クライアントからの予約で埋まったら幸せ
・認められて出世できたら幸せ
・あの人との恋が実ったら幸せ
・自分のオフィスが持てたら幸せ
・これが手に入れば、、、
・これが出来たら、、、
というもの。
僕はこれを「条件付きの幸せ」と言っています。
この思考にも良い所があります。それは目標設定がし易いということ。
ですから、ステップを設定してくことで目標を達成し、階段を登っていくようなイメージです。
しかしながら、落とし穴もここにあり、人間の欲求や達成感というものは簡単に満たされるものではなく、次へ、またその次へ、と求めるものがあがっていき、行き詰まりを感じることで、不満や無力感を感じてしまうケースがあるということ。
目標値に届かないことで幸せを感じられないパターンの例
例えば、「100万円溜まったら幸せ」とおもっていたものが、いざそこをクリアしてみると
「100万なんて大したことないな、、、200万だな」となり
いざ、200万を達成してみると「いや、やっぱり500万貯金がないと幸せとは言えないな、、、」、となり、それを達成したら
「やっぱり1000万だ、、、」となる。
その過程でそこに届かないとなると、その「届かない」ということにフォーカスがあたり、1000万貯金のない自分は幸せではない、という風に感じてしまう。
元々は100万円を目標にしていて、既にその何倍も貯金があったとしても更新され続けていく目標設定に届かないばかりに、今あるものに目が行かず、幸せを感じることがなくなってしまう、ということ。
でもこれって誰もが経験することではないの?
きっと誰もが似たようなことに心あたりがあると思います。
僕も当然あります。
しかし、個人的な考えとしては、ボトムアップもトップダウンも両方大切だと思っています。
ただ、使う場面というか担当する箇所が異なっていて、物事の大枠や大局観となるものはトップダウンでとらえ、近い将来の目標などはボトムアップで考えられると良いのではないか、と思っています。
トップダウンには短所やデメリットになるようなことはないの?
物事はつねに表裏一体なので、良い面もあれば、見方によれば悪い面もあるのが常です。
そしてそれはここでも当然あります。
トップダウン処理について考えるとき、気をつけるべきことはそれが「ひとりよがりや強がりになっていないか」という点です。
例えば、先程の例としてもお金を使ったので今回もお金で例えるとするならば
1億円の損失を出したとします。
それに対して
「うん!1億の損失を出してしまったけれどこれも良い勉強になったね!」
と言っていても強がりにしか聞こえませんし、そもそも「そんな損失を出さないようにやりなさい!」という話ですよね。
自分に都合良いようにだけ、解釈をしていないかということ。
とはいえ、これもさじ加減難しく、結局最も幸せを感じられる人は自分を中心に考えられることではあるのでそこと社会生活とのバランスとも言えるでしょう。
あなたが求めるものはなんですか?
幸せに絶対的な数値や指標はありません。
あいだみつをさんの言葉、【しあわせは いつも じぶんのこころがきめる】にもあるように、自分が何を求めているか、です。
起こってしまった出来事は変わりません。
それに対してどのように自分自身が反応をするか。それだけです。
青い鳥症候群になっていませんか?
「幸福の青い鳥」が何処かにいると信じ、それを追い求め続け「ここじゃない、あっちだ!」「ここでもなかった、では今度はあっちだ!」となっていないでしょうか。
「条件付きの幸せ」を求めている限りは、足りないものに対してのフォーカスばかりになり、今あるものに目をむけられなくなっている可能性があります。
でも思うのです。
本当の幸せというのは、今手の中にあるものに対してどれだけ気づいて満ち足りた気持ちになれるかどうか、ということですよね。
星の王子さまには【自分が今いるところに満足できないんだ】という一文があります。
今いる場所で満足できる自分でいる。その場所で幸せを感じられる自分でいることが人生を楽しむ秘訣ではないでしょうか。
それではまた
森部高史