こんにちは、森部(@moribeimori)です。
1ヶ月ほど前の日本男子サッカー代表vsイラン戦での記事で、なるほどなぁ、と思ったものがありました。
サッカーのことは良くわからないので、「戦術が」とかいうつもりは全くありません。
本田選手がビックチャンスを逃したことに落胆をしたけれど、そもそも相手をマークしていたはずの本田選手がなぜ、ゴールを決めるチャンスの場所にいることができたのか、ということに着目した記事。
前述の通り、自分はサッカーをよく知らないですし、この試合のことも良くわかっていませんので、本当にそうだったのか、ということすらわかりません。
ただ、ATCとしてかなりの数の、そして様々なレベルでの試合を見てくる中で、「そこにいる」選手の存在というのが物凄く大きいということは知っています。
こういった選手は「たまたま」その場にいるということはありません。
そこに「いる」ことに明確な理由をもっています。
それが毎回結果につながるかどうかは、わからないけれど、結果につなげるために毎回そこに「いる」。
10回は無駄足になるかもしれない
誰もその労力に気づいてくれないかもしれない
時にリスクを背負って(計算して)の行動になるかもしれない
目に見えた結果にはつながらないかもしれない
それでもそこに「いた」という事実は、明確な形ではないかもしれないけれど少なからず相手や周りに影響を与えるものだと思います。
これは日々の仕事や、学びの中でも同じことだと思います。
何の意図もないままにその場にいたとしても、労力ばかりがかかり得るものはありません。
「気に入られよう」とするような打算的な理由でその場にいることも意味がありません。
それは主体的なものではなく、相手に「合わせて」いるだけだから。
全ての行動には意味があり、意図があるということ。
その場にいなければわからないことがあります。
その場にいる「だけ」ではわからないことがあります。
自分はそこで「何を」しているのか
何を「するために」そこにいるのか
それの繰り返しなのかもしれません。
それではまた
森部高史