質と量、どちらが大切か。
よく議論されることですよね。
ただ、これに対しては僕は明確な答えをもっています。
絶対的な量なき質は、良質なものにはなりえない、ということ。
目次
質を高く保つこと
質を高く保つ、ってとても大切な事だと思います。
このブログでも何度も言っていますが、質が悪いものを何度も繰り返していたらそれはエラーの刷り込みになってしまうから。
では質だけを求めて量をこなさない、というのはどうでしょうか
時期によって違うプロセスもある
最終的にはそれが大切になる時期ってくると思います。
でもそれって本当にずっとずっと先の話。
まずは量をこなさなければ見えてこないことって沢山あります。
それは技量とか技術、というものもそうですが
それ以前の「自分は本当にこれをやりたいのだろうか」といった根本的なものも含めて。
好きこそものの上手なれ
こんな慣用句もあるように、やはり何かを上達していくためにはそれだけの時間をかける必要があります。
飽きることなく
怪我や病気することなく
嫌になることなく
様々な理由で中断することもなく
続けていくこと
継続することって簡単ではない
たくさん中断する誘惑がある
時には自分自身からの言い訳であることもわかっている
でもどうしても向き合えないときだってある
10000時間の法則というものがあります。
その道で身を立てていくにはそれくらいの時間を費やす必要がある、という考え方です。
その道で名を馳せている人は必ず尋常ではない時間、その事柄に対して向き合っています。(本人が努力と捉えているかどうかは別の話ですが)
同時にある程度のことは4時間もあればできてしまう、という考えもあります。
そこから先こなせるようにはなってきます。
しかしやはり習熟させていくためには多くの時間を費やさなければならないことはあります。
量にこだわってみる期間をつくること
質を追い求めることは大切ではありますが、その部分のみが強調されている傾向があるようにも感じます。
まずはとにかく量をこなすこと。
量をこなす、というとあまり良くない響きがあるかもしれませんが、量をこなそうと思ったら同時に相当色々と考えないと量はこなせないわけです。
その時間をどうとるか
量をこなすための体力をどのようにして培うか
集中力も同様です
人を相手にする場合、それを出す相手がいなければ量をこなすこともできません
ということは量をこなすためには、相手もみつけなければいけません
そういったこと全部が結果として「質」に転化していくのだと思います。
限られた時間の中で「量」をこなしていくための題材を考えること
これもまたなかなか簡単なことではありませんが、こうやって量をこなしていくことでいろいろなところにアンテナがはられ、自分の本当に伝えたいことが少しずつ滲み出てくるものだと思っています。
好きではないものの「量」はこなせない
量をこなすって、そんなに簡単ではありません。
ある程度までは適当にやっていてもできるけど、本当に「これ以上は、、、!」というのに持っていくのはなかなかに大変。
これが嫌いなことだったら拷問です。
好きなことは頑張らないで行える
自然と、選択することがそのことを中心になっているから自然と取り組む量もふえてくる。
好きなものであればそんなに意識しなくても、長い時間むきあっているものです。
すごく意識しないと向き合えないのであればそれは本当に自分が求めているものではないのかもしれません。
とはいえ質のことも忘れないでね!
その場面で必要とされている質、というものがあります。
中華料理を食べにいったのにフランス料理を出されても困るわけです。
最終的に本質的なことというものは通ずるものがすべてのものにはあると信じていますが、この世の中を生きていくためには臨機応変にしてくことも必要です。
頭の片隅に、どういった「質」を自分自身が必要としているのかはぼんやりと頭の中にいれておいて、とにかく目の前のことに全力で量をこなす時期、というものを持ってみてください
自分は「これだけやりきった!」というものがあると強いです
その経験は自分を支えてくれます
そして活動を続けていくと、自分よりもずっとずっと質が高い人と出会います。
その人は自分が「これ以上は無理!」とおもったことの何倍も量をこなしていて
「別に好きなことだから努力なんかんじゃないよね、楽しくって時間が経つのを忘れているからそれくらいすぐ経っちゃうんだよー」
とあっけらかんという人です。
まだまだ先があるのかーーーー!って思います。
「努力をしているものは、楽しんでいるものには勝てない」
この言葉が身にしみることがたくさんあるなら、とても幸せなことですね!
そんな出逢いをたくさんしていきたいな、って思います。
それではまた
森部高史