こんにちは、森部(@moribeimori)です。
きっと誰もが今よりも良い自分になろうとして努力をしたり、新たな状況を求めていたり、目標を定めていたりする。そのゴールを追い求めるために、日々切磋琢磨し、自己研鑽に励んでいるのだと思います。
その道中には、痛い思いをしたり、辛い思いをしたり、苦しい思いをしたりすることもあるのかもしれない。でもそんなことも乗り越えて今の自分がいる礎を築き、その上に積み重ねることでさらに自分を成長させていく。
だからこそ、時に専門家の力が必要になるのだと思います。でも、ピークはどこに持っていくことになるのでしょうか。
目次
栄光は誰のためのものなのか
スポーツにしろ、ビジネスにしろ、他のことでも「パフォーマンス」を高めていくためには専門家の力は遅かれ早かれ必要になるものだと思います。自分自身もスポーツ現場に関わっていた人間ですから、選手がその競技でより良い成績を残せるように、自分が出来る限りのことを、と思って関わっていました。
現在はスポーツの現場からは離れていますが、今行っている仕事の関係で、プロスポーツ選手、オリンピック出場経歴のある方、毎日のようにテレビやCMで見る方や、雑誌に登場するようなビジネス界の方など「華やかな」世界に身を置いている方と関わる機会も多かれ少なかれあります。
そうした方々とのセッションの中で、今現在のパフォーマンスを上げ、その方たちが今いる舞台でさらなる活躍ができるようにできる限りのサポートを、と思うことは昔からかわらないのですが、昔と大きく違う一点があります。
それは、その先を見据える、ということ。
人生は長い、今いる世界だけで終われるわけではないから
その業界や世界に身を置いていると、その場所が全てになってしまうことがあると思います。もちろん、ある意味全てをかけて、日々頑張っている、ということも大切だとは思うのですが、その世界だけが全てではない、ということも大切なこと。
「勝負」の渦中にある人は、そのことが見えないと思います。もしかしたら見なくてもいいのかもしれない。目の前のことに120%毎日取り組んでいく。当事者はそれでもいいのかもしれない。
でも周りでサポートしている人間はそれでいいのかな、と思うことがあります。
例えばトレーナーと言われる職業
例えばトレーナーとして、スポーツ選手を見ていて望んでいた結果(それが優勝や世界一、プロになるなどなど)に届くように手助けをする。それが達成できた時はこの上ないやりがいや幸せを感じることでしょう。時にはそれにより、名声やお金も手にすることになるかもしれません。
でもその結果を選手が出せなくなった時はどうでしょうか。トレーナーはそれでも「◯◯を育てた」とか「優勝に導いた」とか色々と言えると思います。その結果、仕事に困ることはまずないでしょう。
しかし、結果を出せなくなった選手自体はその後、どうなるのか。
スポーツ選手のセカンドキャリアが叫ばれるようになって久しいですが、現場ではまだまだ「目の前の結果」にしかにしか注力していない現状も目の当たりにします。
その重さを何回こなせたから、何なのか。その動きをできるようになったから、何なのか。この凝り固まった組織を解放できたから、何なのか。それは何につながるのか。競技の先に何があるのか。自分たちがサポートしていることは何なのか。
そういったことを考えながら、「その先にあるもの」を見据えていくこと。競技力の向上を手助けするということは大変大切なことですが、競技が人生であるわけではありません。
「そこを考えるのは選手の責任、そこまで面倒見切れない」そういった声が聞こえてくることもあるでしょう。でも、選手にそう考えさせない環境を作っているのは、コーチやトレーナーです。そういった事柄を、大きな視野にいれていれば、日々の練習やトレーニングの中でもそのエッセンスは感じることになると思います。人間同士の仕事ですから。
「その先にある人生というもの」を共感しあうことができていたら「バーンアウト症候群」なんて起こらないと思うのです。
どこにピークを持ってきて、そのピークは持続可能なものなのか。どこまで見据えての「今」なのか。そんな視点は意識しておいてしかるべきだと思っています。
ビジネスコンサルも同じ
ビジネスに対するコンサルテーションも同じだと思います。その一時の業績をあげるには、「こうしたらいいよ」ということはある程度のノウハウと経験があればパッと見ただけでわかるものなのだと思います。
そのあたりはトレーナーの仕事と一緒でしょう。一時の業績があがったから「よかったよかった」となり、その3年後、5年後、10年後に倒産していたとしたら「それはあなたの責任だよ、自分は知らないよ。でも自分のアドバイスのお陰で業績が上がった時期があったでしょ?」そう言い放つコンサルがいたとしたら、どうでしょうか。
もちろん、当の本人の責任や至らないところもあったのでしょう。もっとこうしておいたら、ということもあると思います。
でもあまりにも無責任に感じないでしょうか?
仕事が人生ではなく、人生の達成したいことのために仕事がある
トレーナーやビジネスのことを例に出して言いましたが、何に対しても同じことが言えると思います。例えば5キロやせたい、それを達成した。だから何なのか。その先にあるもののために、その5キロの減量はどのような意味を持つのか。それは3キロでは意味がなかったのか、それとも本当は5キロよりももっと必要だったのか。
そんなことに思いをはせること、視野を広げ、深めていきながら関わっていくこと。前述しましたが、人はその環境にいると、その場が全て、となってしまいます。でも本当はそうではない。その世界が全て、となっている人は仕事が人生になってしまっている可能性が高いです。
冒頭で書いた、華やかな世界にいたことで、その残像や未練などで苦しんできている人たちをたくさん見てきています。人間は消費物ではありません。その一時のビークを超えたからもう用無し、というものではないと思うのです。
だから、いま華やかな世界にいる人たちには、自分自身を大切にすることを伝えています。それは身体も心も。そして、華やかな世界に身をおくことが仮になくなっても自分が力になれることがあれば、とも。それは言葉で伝えることもあるし、自分との時間の中で感じてもらうこともあります。
それをすぐに受け取れるひともいれば、いまはまだよくわからないけれど後々受け取れるようになる人もいます。とりあえず手っ取り早く目の前の結果が欲しい人は、そのまま離れていきます。でも自分が行うことはいつも、誰に対しても一緒です。
自分を大切に扱うことを伝えていくこと。ここには帰ってくる場所がある、ということ。ただそれだけ。人生は長いです。でも、短いかのように生きて、長いかのように楽しむ。それがコツなのかな、なんて思います。
からだはこころのいれものだから。
ではまた
べぇ
それではまた
森部高史