僕は日本が大好きです。
しかし若い頃は、どこか退屈に感じる所もありました。
日本の閉塞感に嫌気が指しているようなところもありました。
幸運にも、高校生の頃に1ヶ月ほどカリフォルニア出すごす機会を得て、20代前半で1年ハワイで生活。20代後半から生活の場をアメリカに移すことになり、大学院進学、そして就職という流れの中で6つの州で生活をしました。そして30代半ばで日本に戻り、現在に至ります。
そういった一度外に出る体験をしてから、日本はなんて素晴らしい国なのだろう、と感じています。
どこにいっても、サービスは充実しているし、人は優しいし、最近は物騒なニュースが流れることもありますが、それでも世界の他の国々と比べたら相当安全です。
もちろん、満員電車とか住環境とか、堅苦しさとかはありますが、それでも日本の美徳や文化というものは世界に誇るものだと思っています。
その中でひとつ、知っておいてほしいことがあります。
それは謙遜、ということについて。
これも1つの日本の文化であり、美徳です。謙虚に生きるということは意外に思われるかもしれませんがアメリカでもとても敬意を払われるものです。
謙虚と卑屈は違う
しかしながら、現在の日本で言われている謙虚さというものには違和感があります。
謙虚というものは、控えめであるという印象があると思いますが、その中には強さもあるものです。
自分が行ってきた道のりは自分自身が信じていることができているからそれは揺らがない確固たる自信となっている。しかしそれでも驕らず、「いえいえ」というものが謙虚さというもの。
ところが、今頻繁に聞く謙遜や謙虚さというものはその「強さ」を感じず
「いやいや、、、自分なんか、、、」
そう言っている時にどこか卑屈になっていたり、自分自身を卑下していないでしょうか。
それではもったいない。
どんな歴史であれ、あなたが通ってきた道のりは紛れもない事実であり、それを誰かが「すごいですね」といってくれたのなら、それは自信をもって「ありがとう」でいいのです。
仕事をふられた時にどうするか。
お世話になっている方や先輩から仕事を振られることもあると思います。
その時に、正直自分の実力よりも少し背伸びをしたオファーだとする。
その時、「いや、自分なんかにそんな仕事は、、、」と言ってしまっていないですか?
そうしたら二度とその人から仕事を回してもらうことはなくなります。
なぜなら、結果を出してもらえないことが目に見えているからです。
そもそも、無理だと思っているのなら最初から仕事をふるということはしないわけです。
誰かに紹介する、仕事をふる、ということは紹介する側にも責任が生じます。だからその人選はかなりシビアです。
その上で声をかけているにも関わらず「いや、、、じぶんには、、、」と言うのであれば、もうそれは残念なことです。
声をかけられるということは声をかけられるだけの理由があるということ。
「やります。やれます」
そう答えていいのです。
そして自分の過去の経験というものは、特別なもの。誰も同じことはできません。
もし、自分の行ってきた道のりが、誉められたり、凄いですね、と言われた時は、素直に「ありがとうございます」と感謝とともに答えましょう。
その姿勢自体が、謙虚にうつりますから。
くれぐれも「自分なんか大したことない」とか「これくらいは誰にでもできます」とか「たまたまです」とか、「自分は二流、三流だから」などと言わないようにしてください。
相手はあなたのことを誉めてくれているわけだから。
それではまた
森部高史