「どうやったら自分の人生を生きることができるのでしょう?」
オフィスで個人セッションをしていると、そんなご相談を受けることも少なくありません。
これって少し不思議な表現ですよね。
人生って自分のものなのに、どこかコントロールできている実感がない。
だから消耗してしまったり、惑わされたり、悩んだり、凹んだり。
それが人生っていうものだよ、世の中はあまくないよ。
そういう声も聞こえてきます。
でも、本当の理由を御存知でしょうか。
人生をコントロール出来ていないのは、そもそも自分がコントロールようとしていないから、ということ。
人生をコントロール出来ていない時
あなたはどういった時に自分のコントロールが及んでいない、と感じていますか?
それは、他者に自分の時間を奪われているときです。
必要性を感じない会議
単に愚痴だけをこぼされるお付き合い
くどくどネチネチとクレームを言われる
こういったことは全て非生産的な時間であり、自分自身にとって何も生み出す時間ではありません。
なぜそのようなことが起こるのか。
本当にその会議はあなたが出席しなければならないのでしょうか。
その誘いは断ることができないのでしょうか。
自分の時間は有限です。
僕が教員時代の話。
学校というのは、最も生産性や経済的活動から縁遠いものです。そもそも、学校の先生がお金を意識して動くことがありません。
おかしいですよね、本来教育というものは最もお金をかけなければいけないものでありながら、その中にいる人達が全くその観点がないのですから。
そのなかで、「あ、ここで働いていたら自分がだめになるな」、とおもった出来事があります。
僕は英語を教えていたのですが、試験の採点となると、それなりの時間がかかります。
記述式の問題もあれば、選択式の問題もあります。
自分の採点を早々に終わらせた僕は、他の仕事に取り掛かっている時にある先輩英語教師から声をかけられます。
「ちょっと、手伝って」
新任だった自分は、とりあえずその先生のもとに行きます。
「この選択問題の丸つけをしていくから、森部さん解答を読み上げていってよ」
もう意味がわかりませんでした。
選択式の問題といっても、答えの種類はせいぜい4-5種類。 a,b,c,d,e とか至極シンプルなものです。
いくら150-160人分の答案があるとはいえ、こんなにも単純なものに、二人の大人がとりかかるものでしょうか?
とはいえ、最初は何か意図があるのかと思って言われるようにやりました。
しかし、物の数分で、これには全く意味がないことがわかりました。
単に「仕事をしている風」になるだけです。労働力という資源の無駄遣いです。
そもそも一人で充分に簡単にできるお仕事なので、大の大人が二人で取り掛かるような作業ではないのです。
「これって僕が読み上げる意味ってなんですか?僕この時間で他の仕事済ますことが出来るので、本当に必要な時に呼んで下さい。解答を読み上げるよりももっと大事な仕事があるので」と言ってその場を去りました。
その先生は自分の年齢の倍くらいお給料も倍くらい。
「そんなこと言わないで、一緒にやろうよー」
こんなにも世間ずれしているのか、、、とあきれました。
あなたの生活の中でも断れることはありませんか?
本当にその誘いに顔を出さなければいけませんか?
その用事はあなたがやらなければなりませんか?
「良い人」でいようとして、自分の時間を犠牲にしていませんか?
それであなたが十分に満足しているのなら良いでしょう。しかし、それならば【自分の人生をコントロールできていない】とは感じないはず。
もしもどこかで、1%でも自分の人生がコントロールできていない、という感じがある人は、まず自分の予定を決めることからはじめてください。
今すぐ予定を手帳に書き込んで下さい。
やりたいこと
行きたい場所
参加したいセミナー
見たかった映画
会いたかった人との予定
そういったものを書き込んで下さい。
そして、それを変更しない。
その後に、誰かの頼まれごとが入ってもことわって、自分のやりたくて決めたことを先に実行して下さい。
忙しいのに海外旅行に行けるわけ
とても忙しいのに、いつも海外旅行で自分の時間を楽しんでいる人がいます。
その人に「どうしてそんな風に忙しいのに毎年海外にちょこちょこ行ってバケーションを取ることが出来るんですか?」
と聞いたことがあります。
答えはとってもシンプルなものでした。
「何ヶ月も前から、まだ次の仕事が入っていない時に返金不可のチケットを購入するんですよ。」
と笑顔で言っていました。
返金不可だったら、何が何でもその旅行は実現しますよね。
自分の人生をコントロールするってそういうこと。
じぶんのやりたいことに焦点を絞り、それを行うために他の予定を組み込んでいくこと。
それを【優先順位】といいます。
自分の人生コントロールしはじめてくださいね。
それではまた
森部高史