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All tragedy is misunderstood comedy.
「全ての悲劇はコメディを勘違いしたものである」
誰の言葉だったか覚えていないのですが、アメリカにいた時に聞いたことがあるフレーズが、ふと頭のなかをよぎりました。
あの人はなんであんなにも大変な時をやりすごすことができたのだろう
自分はちょっとした困難でもくじけてしまいそうになるのに
そんな風にかんじたことはないでしょうか
または、自分が不幸のヒーロー、ヒロインであるかのように感じてしまうことはありませんか?
そんなことをしていても何も変わらないということはわかっているのにもかかわらず。
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すべての悲劇はコメディを勘違いしたもの。
結局のところ僕たちは、何が起こったか、ではなく起こったことに対してどのように反応したか、を常に問われているのだと思います。
僕も今までの人生の中で人には言えないような苦しい時期を過ごしたことがそれぞれの局面でありました。
その渦中にいる時はお先が真っ暗ではあったのですが、30代にもなると少し余裕が生まれてきてそれ以降はそれまでをやりぬいてきたという経験もあったからでしょうが
「人生ネタ作り」
そう思ってやりすごしています。
コメディとして自分の世界をとらえるか
悲劇として自分の世界をとらえるか
考えることはたくさんありますね
それではまた
森部高史
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