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ひとりごと

学び続ける理由はただ一つ「多様性を認められる自分でいる」ため。

 

こんにちは、森部(@moribeimori)です。

 

人の身体に関わるお仕事をされている方々はとっても勉強熱心だと思います。

日々、世界では何かしら新しいことが発見され、いまやどこにいてもインターネットひとつで情報は得られる。

 

セミナーも毎日のように至るところで行われていて、一昔前では考えられないくらい海外からの講師も日本で講義をおこなってくれる(しかも通訳付きで!)

学ぶ環境がたくさんあるというのは本当にありがたいことだな、と思いますよね。

 

ではなぜ僕たちは学び続けるのでしょうか。

学ぶ理由を考えたことはありますか?

僕はマンガが大好きなのですが、大好きな漫画の一つに「マスターキートン」(原作:勝鹿北星、作画:浦沢直樹)があります。

 

 

作中、主人公キートンの恩師でもあるユーリスコット教授は「学ぶ」ということに対して以下のように言葉を残しています。

「人間はなぜ学び続けるのでしょうか。それが人間の使命だからです。」(第3巻)

 

「使命」といわれると「えぇっ!?」となってしまう人もいるかもしれません。

でも本質的なところはそうなのだろうな、と思います。

 

これはなにも学問に限ったことではなく、日々日常の中にも学びはたくさんある。

それを大切にできるかどうか。

受け取れる自分でいるかどうか。

ツール探しの勉強からの卒業

自分も多くのセミナーをさせていただいていますし、たくさんセミナーにも参加していますし、本を読んで学ぶこともたくさんあります。

セミナーという場ではなくとも、様々なバックグラウンドを持つ方々と直接お会いする中で教えていただくこともたくさんあります。

昔は、そこで教えている「知識や技術を習得するため」と思って参加していました。

 

自分が選手やクライアントに向き合うなかで必要となるであろう

いうなれば「武器」となるようなものは何かないか、と。

 

ツール探しです。

でもこれって疲れちゃう。

 

「木を切るという状況にはノコギリで対応できたけど、これじゃ釘が打てないからハンマーという物の使い方を習いに行かなければ、、、」

そんなことの繰り返しにもなっていました。

 

また、それが繰り返されていると「習ったことがすべて」になってしまっていました。

「ハンマーは釘を打つもの。だからそれを使って物を壊すなんてもっての他だ!」みたいな。

 

でも実際は、いらなくなった廃材などをこまかく壊すために使ったっていいわけです。

いろいろな使い方があっていいですよね。

学んでいるときの落とし穴がまさにそれ

教えている人が情熱があればあるほど

魅きつける力があればあるほどこの落とし穴は大きくなるのかな、という気がしています。

 

ご本人たちは決して、「これがすべてだ!」という言い方はしていない(と思う)はず。

 

ただ、その熱量や情報が素晴らしければ素晴らしいほど、受け取る側が尊敬や憧れの念を持つあまりにそれが全てのように思い込んでしまうことがあります。

 

「あ、それは習ったことと違うからそうじゃない」

「それは教わってないから違うよ」

 

他の技術や流派などをみて

「あれは違うよ」

そんな発言、耳にしたことありませんか?

 

でもそれって勿体無い。

 

「これを学べば集客につながるはず!」なんていうのも同様。

せっかく、多くの見地を多大なる労力のもとアウトプットしてくれる人がいて

それを学んだにもかかわらず、そういった姿勢になってしまうこと

 

それは教えている方にとっても本意ではないのではないかと思います。

 

これってどうなんですか?と聞かれることもあります

いろいろなお付き合いの中で

「これ(ある特定の講義や資格など)はどうなんですか?」

と聞かれることもあります。

 

その時は、自分が知らないことは知らないと伝えます。

同時に、少しでも知っていることなら自分のバックグラウンドの中から、どういう見方をしていることなのか、基本コンセプトなどを含め思うことを伝えます。

でも結局それを必要とするかどうかは、その人次第なので

 

「行った方がいいよ」とはいいませんし、「行かないほうがいいよ」とも言いません。

「面白いと思いますよ」

 

「興味があるなら行ったらいいと思いますよ」と伝えています。

「行かなきゃ」と思うなら行く必要はないし

「行きたい」と思ったら行ったらいいんです。

 

そこに自主性がある限り、何かしらの学びはありますから。

自分の軸は大切に

 

本当の意味で学ぶことというのは

その過程のなかで「多様性を認められるようになる」こと。

 

人には必要なタイミングや物事が響く時期というのはそれぞれです。

自分の軸となるものを大切にしながら

 

「なるほど、そういうこともあるのか」

「こういう考え方もあるんだね」

 

そう思えた時、本当の意味で学んだことが自分の身になっているのではないでしょうか。

最後に再びマスターキートンの中に出てくるユーリスコット教授の言葉です。

「人間はどんな所でも学ぶことができる。知りたいという心さえあれば。。。」(第12巻)

 

学びはいつもどの瞬間にも。

それではまた

森部高史


ABOUT ME
森部高史
株式会社Pono Life代表取締役。Kukua Body主宰。アメリカ在住時でATCとしてトップレベルアスリートのケアにあたる。数少ないロルフィング®の資格を持ち、クライアントの身体と心のバランスを整え人生に寄り添い、「先生」と呼ばれる治療家やセラピストを指導する立場にもある。その人柄と結果を導くセッションと講座には全国から参加する人が後を絶たない。現在は自分の知識や経験をオンライン化していく方法を個人事業主や小規模法人経営者に伝えている