あなたは勉強をすることが好きですか?
学校時代の「やらされている」勉強で嫌気が差している人も多いかもしれませんね。
本来、「学ぶ」ということは、自分が知らない世界を広げてくれるものなので、楽しいものなのですが、それが苦しみに感じてしまう人も少なからずいるように感じます。
目次
学んでも行動に移す人は圧倒的に少ない
ある説によると、どの業界においても、自分でお金を払って学びに行く人というのはほんの10%程度しかいない、とのこと。
さらに、それを学んだ上で実行する人は2−3%しかいない、と言われているそうです。
100人中10人しか、自分でお金を払って学ぶことをしない。
そしてそのお金を払ったにも関わらず、学んだことを行動に移す人はたったの2−3人。
ということは
「お金を払って」
「学びに行って」
「行動に移す」
それを行うだけで、トップの2−3人になれてしまう、ということ。
それを繰り返していたら、嫌がうえでもある程度の形になり、認知もされていくようになり、自分が届けたいものや仕事をきちんと届けられるようにだってなっていく。
でもやらない。
なぜなのか。
それをしっかりと見つめ直していくことが大切になります。
この一言を言わない
そして僕自身もセミナーやワークショップを開催させていただきますし、他の方々が主催されているセミナーなどに参加された方とお話をする機会も多いです。
その時に、きちんとその時の内容を自分の血肉にした人と、していない人の返答に違いがあります。
それは
「勉強になりました」
という一言。
これを言う人は、その内容を理解できていないばかりか、行動に移すこともできていません。
では、本当にその時間を有意義に自分に使えた人というのはどのように返答するか。
それは
「◯◯な部分で、こうでした。それに対して自分はこう思っていたけれど、やってみたらこうなった。」
と言うかたちであったり
「こういった所がよくわかっていなかったのだけれど、こういった説明をうけて、自分が疑問に思っていたことはこういったことだったということがわかった」
と言うかたち。
自分のものになっていたら、より具体的な話になる
ようは、そこで学んだ内容を自分の中で一旦消化して、より具体的に話をしているのです。
そして、更にそのようにしてアウトプットすることにより、またそこでやり取りから、今までなかった観点であったり、より深めたりという生産的な時間が二次的に生まれます。
その時間を経て、より元の学びの時間を深めていくことになります。
「勉強になりました」という過去で完結させていないのです。
「勉強になりました」と答える人に、「どういった点で?」と答えるとほとんどの人が後の言葉に詰まります。
それは自分事として落とし込めていないから。
わからない、と言っていい
その中の内容を、全て理解していなくても、本当にわからなかった、でもいいのです。
そもそも全てわかっているのであれば勉強する必要なんてないのですから。
きちんと「自分にはこういった点がまだ理解できなかった」「この点はとても理解できた」というだけでもいいのです。
「勉強になりました」という一言で済ませてしまっている人は、先程の二次的な生産的な成長の機会を自ら奪っていることも覚えておくといいでしょう。
革命のファンファーレを読んでも何も変わらない
少し前に、トレーナーやセラピスト界隈で話題になった「革命のファンファーレ−」。
読んでない人は、読んでおいたほうがいいと思います。
当たり前に大切なことを、読みやすくまとめてくれているから。そしてこの全てを鵜呑みにする前に、西野さんがどういった変遷を経て来ているかしっかりと知ることや、認識はしておいたほうがいいということはお伝えしておきます。その上で、とても大切なことを記してくれています。
しかしながら、あれも「勉強になった」とコメントしていた人たちは、結局行動につなげていないから何も変わっていない。
そもそも、本当にそれから学びを得ている人は「勉強になりました」という前に既に行動にうつしています。だから、そこからの発言も具体的なものになります。
そうならないのは、自分に足りなかったところを認識しきれていないから。または、それを行動に繋げる必要性をきちんと腹落ちさせていないから、結局行動に反映されていない。
あなたはどうしますか?
行動に反映されていなければ、それは意味がありません。
あなたはこれからも「勉強になりました」の一言で片付けますか?
それとも、わからないことは、わからないときちんと認め、自分に必要なことを積極的に得る姿勢を築き上げていきますか?
わからない、って言えることは素敵なこと。
なぜなら、その先に広がる世界があるということだから。
それではまた
森部高史